思い出ポロポロ~こんな日は

昨日は異動する社員と最後の仕事でした。わたしは最後まで彼らの母だったと思います(笑)

彼らはもう今日から新境地で仕事を始めるのだなぁ(ウチにも新しい人が来るんだ♪)と思うと、天気予報と反したウ

キウキした朝の始まりでした。明日の休みが急に出勤になり、商売道具のGパンを乾かさなくてはならず、出勤する

皆様に紛れてランドリーに行きました。見上げた駅前のウコン桜が咲き始め、今週末のゲームには見頃になるでし

ょう。そして味スタ通りは、これから八重桜へと続きます。

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念願だったシャガをひょんな事から購入することが出来ました。これで散歩途中でキョロキョロせずに済みます。

こぼれ種からのオダマキは西洋オダマキの紫、ジャーマンアイリスは今年は一本だけの開花になりそうです。

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【神代植物公園内のゼンマイ】


<金魚のお弁当>

昭和39年頃、わたしの通っていた小学校はまだ給食ではありませんでした。

旅館に住み込んで暮していたわたしのお弁当のおかずは、宴会の残り物だったり厨房にあるつけ合わせだったり、

ある時は味噌汁の具だったりしました。住み込み働きの母が、旅館のおかみに気兼ねして他の食材には手をつけ

なかったからでした。あの頃は玉子も赤いウインナーもぜいたく品で、おかみが食べているのを羨ましく見つめてい

たものです。巨人・大鵬・玉子焼きと言われたあの時代のことです。

ある日のお弁当が白いごはんの上に紅しょうがのスライスが一枚だけだったことがありました。それを見た同級生

は不思議そうにわたしに聞きました。

『○ちゃんそれ、金魚?』 『うんそうだよ』

『おいしい?』 『うんおいしいよ』

紅しょうがの形が赤い金魚に似ていたのでしょう。その同級生が幼くてよかったと、素朴な疑問だけで済ませてくれ

てよかったと思ったのを覚えています。


それでもあの頃はひもじい思いはしてなかったと思います。熱々のくじらの串カツやコロッケを食べた記憶も、おねえ

ちゃんがちょいとこさえてくれたおこげのオニギリも覚えているのです。盆暮れにはおかみに届けられた嗜好品をお

すそ分けしてもらって、泉屋のクッキーや桃の缶詰も食べたのです。サザエを喉に詰らせて大騒ぎになったこともあ

りました。大人たちが背中を叩いても、口に指を入れて出そうとしてもサザエは取れず、結局飲み込んでしまったと

いうこともありました。あの頃からわたしは食に関して貪欲だったと思われます。

最近、「がばいばあちゃん」や「三丁目の夕日」などを観てはますます「昔の自分」を思いだすわたしでした。


**今、巷で噂のごはんの友ナンバーワン。売り切れ続出で入手困難。

   緊急事態発生で駆け込んだお隣りさんにありました♪

   評判通りフライドガーリックの食感が絶妙でした~

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