わたしの三丁目

時代は過ぎ記憶から記録になるのだなと、つくづく実感した。
前回は不覚にもオープニングシーンを観ただけでも泣けてしまったのだが、今回のオープニングシーンはかなり強烈だった。
わたしは女子なので、あの迫力にただ心臓が止まるのではないかという心配だけだったが、あの頃少年だった人やマニアには堪らないシーンと言えるのではないだろうか。
昭和34年の東京。わたしはまだ記憶もない2歳だった。

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どんな経緯があってその町のその旅館に住み込みで働くようになったかは知らないが、母とわたしの暮らしはその場所から始まった。
母と線路を歩いた記憶から旅館の女将を看取るまでの時代が、わたしにとっての三丁目だと言える。
鉄道マニアでもないわたしが線路や電車に郷愁を感じるのは、あの時の車窓に映った自分の無邪気な顔とそれと反した母の顔を今も忘れてはいないからだと思う。
車窓を過ぎていく景色に陽のあたる部分と闇の部分があるように、母とわたしの人生も車窓の景色のようにめまぐるしく流れて行くのだった。

旅館での暮らしは退屈はしなかったが、子供である事が寂しかったのだろう。
友達の家に夜遅くまで居座っては、よく母に叱られた。
友達の家には姉妹や祖父母が居てわたしが持ち合わせていない家族というカタチがあった。
生活という空間があった。
子供心につかの間でも、疑似家族のようにその場に存在したかったのだろう。
マーキングをして彷徨う野良犬のような性分は、大人になった今でも直らない。
あの頃はまだ眉をひそめる大人たちの顔には気づかず、陽のあたる部分の方が多かったように思う。それはまだ自分が子供で居られた時代だったからだ。

よく母に叱られたと聞こえは良いが、実際にはせっかんに近い。
わたしがよっぽど言いつけを守らない子供だったのかもしれないが、母の性格も半端ではなかったと思う。
角の立った小石が敷き詰められた旅館の駐車場に引っ張り出され、下駄で叩かれた。
逃げる時に引っ張られたシミーズがボロボロになったのを憶えている。
ある時は旅館が経営していた劇場小屋に閉じ込められ、近所の泊り番のタクシー運転手さんに大声で助けを求めたこともあった。
母の性格が激しかったのか、わたしに子供らしい健気さがなかったのか。
今の時代では虐待と言われるのだろうが、あの頃は母しか居なかったわたしには母から逃げ出す事すら考えられなかった。逃げていく先もなかった。
そんな母を咎め、わたしをいつも助けてくれたのはK姉ちゃんだった。

旅館の調理場と女将の居る帳場の行き来をしながら、大人の世界を垣間見る。
泥酔した客に男を、紅を塗った母に女を見る。
いつの間にか母から忘れられていく不安や自分の存在に気づき始めた頃でもあった。

1年遅れで幼稚園に入ったわたしは小学校に入学するというのにまだ自分の名前すら書けなかった。
旅館の養女であったK姉ちゃんは、調理場と帳場の仕事をこなしながら時間を見つけては、わたしにひらがなや数字を教えてくれた。広告の裏に大きくわたしの名前を書き、これを真似て何回も練習するのよと言い残すと仕事に戻るのだった。
出入りする客や調理場の様子を見ながらも、女将はひらがなを裏返しに書くわたしも見逃さない。血管の浮き出た細い指で握ったキセルで裏返しを指す。
ヘビに睨まれたカエルさながらの光景である。

わたしが初めてバスに乗ったのは、K姉ちゃんとT市に買い物に行った時だった。
レース襟のついたビロードのワンピース、赤い靴。文机とランドセル。
“おばあちゃんがアンタの為に買いなさいって言ったのよ”
“自分の名前も書けないなんてみっともない、教えてやってくれ”
K姉ちゃんにそう頼んだのも女将だった。

女将にとってわたしは使用人の娘だけの存在であったはずだ。
母の仕事が終わるまでの時間を帳場という場所で女将と過ごす時間は、わたしにとっては緊張の時間だった。口数も少なく笑いかけてくれた事など記憶にはない。
お正月の餅が数えられないとか足を崩すなとか、意地悪で怖いおばあさんだという印象しかなかった。
この事があってからわたしの女将に対する気持ちが変化したのは当然であった。

40年ぶりにK姉ちゃんを尋ねた時の事だった。
おぼろげな記憶を確認する話の中で、K姉ちゃんから思いがけない言葉を聞いた。
“あのままアンタが旅館に居たら、いい女将になってたろうに”
跡取りとして養女になったK姉ちゃんだったが、ある事情で旅館とは縁が切れてしまった。
女将よりも違う選択をしたからだった。
旅館の要となる跡取りが居なくなった旅館は、様々な思惑を持った人間が出入りするようになった。やがて母が女将への恩義を捨てて旅館を出た理由はここにあったと思う。

女将は自分の事を“おばあちゃん”と呼ぶわたしを咎めなかった。
自分の最期を身内ではないわたしの母に頼んだ。

一緒に居た頃には見えなかったものに離れてから気づく事がある。
当たり前すぎるその事の温かさを無くしてから気づく事がある。
あの町で暮らした時代がわたしの三丁目だったと。