あれは

あれはまだ息子が保育園の頃だったろうから、20年以上も前の話。
当時わたしの母は体を壊して働けなくなったので生活保護を受給していた。
養育費も慰謝料もない離婚をして子供を抱えていたわたしに、母を養うだけの力がなかったからである。

生活保護を打ち切られ、最期に“オニギリが食べたい”と書き残して亡くなった男性の事件。
北九州方式。
申請書を渡さない、受理しない、保護の打ち切りを迫る。
その内容を報道で見聞きしていたら、あの時のやりきれない悔しさを思い出した。

“お母さんのことでお話があるのですが”
生活を支える為の仕事を退けて、担当者の待つ母の借家に向かった。
早く話しを終わらせないと時間給が減ってしまう。
わたしも少ない給料をやり繰りする母子家庭なのだ。

家に上がると、母は肩を落としてうつむいていた。
わたしを叱り飛ばしていた元気な頃の母の姿はそこにはなかった。

“○子さん世の中には三食の食事を一食抜いても親の面倒は見ますと言う人がいるんですよ。”

バリッとした背広を着たその職員は、さも善とした意見を述べていた。
きっと貴方は生活の苦しさや惨めさを知らずに幸せな道を歩んでいるのでしょうね。
何代も続いた家で両親に抱かれて、充分な教育も受けたのでしょう。
自家用車も家族一人一人に一台ずつあるのでしょう。

わたしのように毎晩、米びつなど覗かないでしょう。
クリスマスの夜、華やいだ町を見せたくなくて
子供と二人、裏道を歩いたことなどないでしょう。
一日一合のご飯を分け合って食べたこともないでしょう。

黙っているわたしをいいことに担当者は説得しようと、話し続けていた。
わたしはその言葉に耳を貸さなかったが、まともに聞いている母は生きた心地がしなかっただろう。
わたし達が一体何をしたと言うのか。
まるで犯罪者か堕落者かのような言い方にうんざりしていた。

“今でも大変なのに、それは親子心中しろと言うことですね”
退けて来た職場が気になっていた。これが原因でクビになるかもしれない。
担当者の言葉よりも職を無くす方が恐ろしかった。
“勤務中なので・・”

何事もなかったような顔をして同僚に侘びを入れて仕事に戻った。
いくら努力してもどうしようもないこともある。
母の処遇は町内の議員さんにお願いして、どうにか生活保護は継続になった。

あの時のような母の姿はもう見たくない。
あんな人達にあんな言い方はされたくない。
わたしがキャディという仕事に移ったのは、それからまもなくだった。

阿倍さんが辞めて福田さんになっても、日本は変わらないだろう。
国民のためと言いながら、私利私欲に走っているような政治家では変わらない。
あの大臣もこの議員も二世三世のおぼっちゃまばかり。
“自立と共生”
その意味は本当はなんなのか。国民の視点で言っているとは到底思えない。
立派な人たちが語れば語るほど、あの日の出来事が甦ってくる。

何にもわかっちゃいないでしょ。
努力してもどうしょうもない事だって有るのよ。
おたくたちには弱者の気持ちなどわかるまい。

“オニギリが食べたい”と書き残して逝った男性の小さな声など聞こえまい。







この記事へのコメント

  • たるさん

    reiさん、こんばんは。
    貴女の記事を読んで私の過去の人生を思い出しました。
    私の母も私達幼子を残して再婚し、イバラな道を彷徨い続けました。
    母の離婚も父の浮気で毎日、母が悩んで居る姿を思い出します。
    でも、今迄少しの波風はありましたが、この歳まで生きて来れた事を両親に感謝しています。。遠い昔の独りごとです。
    2007年10月12日 20:29
  • rei

    ☆たるさんへ
    こんにちは♪
    この苦い思い出ももう20年以上も昔の事ですが
    連日のお役人のお粗末さを報道で見聞きしていると
    あの時の思いが甦ってきたのです。
    お役人とはよく言ったものです。
    税金から給与を貰っている意識が希薄で
    何か勘違いしてるのではと感じています。
    たるさんもご苦労なさっているのですね。
    私の話など他愛もないよく有る話だと思います。

    2007年10月13日 14:59